大判例

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松山地方裁判所 昭和52年(ワ)327号 判決

原告 山内美久子

右訴訟代理人弁護士 岡本博征

同 西嶋吉光

被告 愛媛県

右代表者愛媛県公営企業管理者 小菅亘恭

右訴訟代理人弁護士 米田正弌

同 白石誠

右指定代理人事務吏員 宮内利人

〈ほか一名〉

主文

一  被告は、原告に対し金二五五六万九九〇三円及び内金二三五六万九九〇三円に対する昭和五二年一一月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、主文一項に限り、原告において金五〇〇万円の担保を供するとき、仮に執行することができる。

ただし、被告は金一〇〇〇万円の担保を供して仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し金五五九六万一四八二円及び内金五二七六万一四八二円に対する昭和五一年二月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担する。

3  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

被告は、愛媛県立中央病院(以下「被告病院」という。)の開設者であり、原告は、昭和四九年八月一三日以降同病院の皮膚科等で治療を受けた者である。

2  診療契約の成立と被告病院での治療経過

(一) 原告(昭和一九年一一月二七日生まれの女性)は、二歳のころ交通事故により左下腿に傷を受けたものの、やがて治癒し、そこが瘢痕となっていた点を除けば、特別の支障のないままに成長した。ところが、原告が成長して後の昭和四八年一〇月ころ、ステンレス製の机の角で右瘢痕部を打って以来、同部位が潰瘍状態となり、しばらくの間売薬を塗るなどして自己治療してみたが、潰瘍状態は消えようとしなかった。そこで、個人病院の鶴井外科で受診したところ、被告病院を紹介された。

(二) 原告は、昭和四九年八月一三日被告病院整形外科を訪ね診察を求めたところ、皮膚科に行くよう指示され、同科の酒井俊助医師(以下「酒井医師」という。)の診察を受けた。以後、原告は被告病院皮膚科で酒井医師の上司に当たる長尾栄治医師(以下「長尾医師」という。)を主治医として診療を受けることになり、ここに、原告と被告との間で、原告の左下腿の潰瘍部位及び瘢痕部について、被告病院医師が十分な配慮の下に最善の治療を施すことを旨とした診療契約(準委任契約)が成立した。

(三) 原告を診察した酒井医師は、原告の左下腿の潰瘍部をおそらくは皮膚癌であろうと診断し、潰瘍部の皮膚を組織検査に回すとともに、切除手術を前提とした血液、尿、梅毒反応、肝機能などの検査を実施した。翌一四日原告を診察した長尾医師は、原告の両そけい部リンパ節に認められる腫張が癌の転移によるものかどうか、癌が骨にまで浸潤しているかどうかを心配し、そけい部リンパ節を一部切除して組織検査するとともに、X線写真による左下腿の検査をした。その結果、原告の左下腿の潰瘍は、扁平上皮癌の疑いが濃いものの、リンパ節への転移や骨への浸潤はないことが判明した。

そこで、長尾医師は、治療内容としては、腫瘍部(縦一二センチメートル、横八センチメートル)の切除手術をし、抗癌剤を投与する方針を立てて、原告を同月一九日入院させた。

(四) 入院した原告は、手術前の諸検査を受け、感染対策として抗生物質を投与されて後、同月二二日、長尾医師と酒井医師を手術担当者として、左下腿の潰瘍部切除の手術を受けた。右手術により切除されたのは、左下腿の前面半周相当である。手術は成功し、担当医師により癌病巣の取り残しのないことが確認された。しかし、長尾医師は、癌細胞の万一の取り残しを懸念して、翌二三日被告病院放射線科に放射線治療を依頼した。

(五) 被告病院放射線科の兵頭春夫医師(以下「兵頭医師」という。)は、皮膚科からの依頼により、同月二六日原告を診察したうえ、翌二七日から同年九月二四日までの間に、原告の左下腿前面及び後面を縦二二センチメートル、横一〇センチメートルの範囲を照射野として、合計五〇四〇ラドのコバルト六〇を照射した。右放射線治療の間、切除部分の皮膚は植皮されないままであり、皮膚科での治療は抗癌剤や抗生物質を投与するものであった。

(六) 放射線治療の終了後、原告は一〇月二日いったん退院し、一一月一八日植皮手術のため再入院した。この間の外来治療では、コバルト照射による放射線皮膚炎に対する処置と植皮の生着をよくするための処置がなされた。

(七) 原告は、一一月二六日に第一回目の植皮手術を受けた。この植皮は試験的また部分的なものであった。この植皮部位には、一二月二日には黄色ブドウ球菌に感染したことによる膿が見られ、同月六日には植皮片の下に滲出液があり、その部分は水疱状になっていた。こうした経過から植皮片は生着しなかった。また、左下腿の後面にも放射線皮膚炎による血管拡張やびらん状態が見られた。

(八) 次いで、一二月一九日に第二回目の植皮手術がなされた。この手術は、第一回目のものと違い切除部分全体に対するものであった。しかし、植皮片は着床部位がコバルト照射による放射線皮膚炎を起こしていたため生着しなかった。

一方、コバルト照射部位にほぼ一致する部分で皮膚、皮下組織、筋層及び骨に達する深部組織への放射線障害が発生し、これが重大な感染化膿を伴って進行していった。

(九) 原告の家族は、全身の衰弱が激しくなってきた原告に対し、長尾医師が胃の透視をさせようとしたのに不安を感じるとともに、長尾医師より原告の痛みをとめるには、左下肢の切断しかないと言われ、被告病院を退院させることとした。原告は、長尾医師の了解を得て、昭和五〇年一月二七日から外泊し、同月二九日、帰院しない旨被告病院に連絡して、同月退院の扱いとなった。

(一〇) 被告病院退院後、原告は同月二八日実家近くの町野医院(愛媛県大洲市内)で治療を受けたところ、町野淳二医師(以下「町野医師」という。)より転院を勧められ、同年二月一日から松山市内の外科医院である梶原病院に通院するようになり、同月九日から同院に入院した。梶原病院では、梶原勘一医師(以下「梶原医師」という。)より全身状態の回復、左下腿創傷の改善、肉芽形成の促進、膝関節及び足関節の強直の改善などについて種々の保存的治療を受けた。しかし、左下腿のほぼ全面にわたる皮膚欠損、脛骨及び腓骨の露出、膝関節及び足関節の強直は改善されず、そのままでは、歩行や直立はおろか坐位も不能な状態であったため、昭和五〇年九月一六日梶原病院で左下肢を膝関節より上約一〇センチメートルのところで切断する手術を受けるのやむなきに至った。

3  被告病院医師の債務不履行

(一) 放射線治療の時期について

原告の左下腿の腫瘍が扁平上皮癌であったとしても、皮膚癌治療における腫瘍切除後の放射線治療については、これを行えば、放射線障害によって細菌感染に対する抵抗力が弱まるとともに、血行不良により植皮の生着が著しく困難となるのであるから、必要やむを得ない場合に、かつ、必要やむを得ない程度においてしか行わないとするのが医学上の常識である。

特に下腿は、放射線耐容性が小さい部分であるため、皮膚癌の治療方法としては手術が第一の適応であるとされていること、また、脛骨前面はもともと血行が少ないため植皮片の生着が劣るとされていることから、原告の左下腿の腫瘍切除後直ちに放射線治療をすればその後の植皮片が生着しないことは、十分予見できたはずである。このような場合、医師としては、仮に癌細胞の取り残しが懸念されたとしても、他に方法がある限り、放射線治療を切除手術後すぐに実施することは避けるべきである。

そして、この場合癌細胞取り残しの懸念を除去する方法として採り得べき他の方法としては、再度の手術という簡単で危険度の少ない方法があった。このことは、切除手術後切除した部分を病理検査した結果の報告にも、「断端浸潤の明らかなものはないが、断端に乳頭性増殖部があり、将来悪性変化を懸念される部位があるので、より広範に切除されたい。深達度もかなり深くまであり、取り残しはないが、あと二ないし三ミリメートルの所まで浸潤プラス」とあり、再手術による切除が示唆されていることからも明らかである。

また、切除後にどうしても放射線を照射する必要があったとしても、その場合には、植皮手術をまず先にしたのち、植皮の完全な生着を待って放射線治療を行うことも十分にできたはずである。

しかるに、長尾医師は、切除した皮膚の病理検査の結果報告を待たず、しかも他の適切な方法を十分検討することもなく、万一の癌細胞の取り残しを懸念したことのみから直ちに、手術の翌日に漫然と放射線治療を放射線科に依頼し、放射線科でも、兵頭医師は長尾医師の右依頼に応じて放射線治療を決定し加療したものであって、長尾医師や兵頭医師のこれらの行為は、医師としての善管注意義務を欠くものである。

(二) 放射線の照射範囲について

仮りに、放射線を照射すべきであったとしても、その場合には、照射範囲を設定するにつき、照射されるべき部分に線量を集中させ、それ以外への線量を最少にすることが治療技術上の基本とされている。そして、一般には腫瘍が小さくて確実な位置の掌握と再現性の保持が可能な場合は一センチメートル程度の余裕をとり、その条件に当てはまらない場合は二センチメートルの余裕をもって照射野が定められている。

本件において、原告の左下腿の潰瘍部及び瘢痕部のうち扁平上皮癌とされるのは、潰瘍の中央部に当たる直径数センチメートルの円型の皮膚の盛り上がり部分である。したがって、照射野も右円型部の周囲に一センチメートルの余裕をもって決められるべきである。ところが、本件の放射線治療において照射野とされたのは、横一〇センチメートル、縦二二センチメートルに及ぶ広い範囲である。

これは、明らかに不必要な範囲に及ぶ照射野の決定であって、放射線治療上の注意義務違反である。このことにより、放射線障害の範囲が広がり、その後の植皮手術をより一層困難なものとした。

(三) 植皮手術の術前術後の管理について

(1) 感染予防上の注意義務違反

植皮手術においては、細菌感染を予防する対策が不可欠である。特に放射線による放射線障害をおこしている箇所や、肉芽面などのすでに汚染された部位に植皮する場合は、術前に局所から検出した細菌の培養とその感受性テストを行って、その細菌にもっとも適切な抗生物質を決定し、その抗生物質を術前術後に大量に全身投与しなければならないとされている。しかしながら、本件では、昭和四九年一二月一九日に行われた植皮手術前に細菌の培養とその感受性テストは行われておらず、また、術前術後の抗生物質もケフリン(用量は通常成人で一日一ないし六グラムとされる。)を一日二グラム投与するだけで、大量に投与していない。

(2) 術後管理上の注意義務違反

感染は植皮の失敗の大きな原因の一つであるから、医師としては、植皮手術後、植皮部が感染しているかどうかを最大限の注意をもって監視しなければならず、もしも感染しているならば、直ちに、感染を起こしている植皮片をよく清拭し、膿汁を排除する等の措置をとらなければならない。ところが、昭和四九年一二月二五日ころ、すでに膿疱と水疱が認められ、感染していることが明らかとなっているにもかかわらず、翌年一月一九日まで感染に対する処置が全くなされず、放置されたままになっていた。このため、その間に感染はますます広がり、植皮部分だけでなく、左下腿の前面、後面にわたって皮膚、筋肉が壊死し、脛骨までもが壊死するに至ったものである。

(3) 左下肢全般の筋萎縮、膝関節及び足関節の強直の予防処置の懈怠

原告は、被告病院に入院中、昭和四九年八月二二日に左下腿の潰瘍及び瘢痕の広い範囲を切除した後は、切除後の患部の痛み、コバルト照射による放射線障害の痛み、二回の植皮手術による痛み、感染による痛み等が続き、常に左下腿の激痛に苦しんだ。それらの激痛のため歩くこともままならず、痛みに耐えるため左下肢をくの字に折り曲げていることが多かった。このような原告に対し、医師としては、左下肢の関節強直を防ぐため、マッサージ等の処置をすべきであったのに、何らの処置もなされていない。

4  被告病院での治療と原告の左下肢切断との因果関係

原告が被告病院を退院した後、数箇月して左下肢を切断するのやむなきに至ったのは、被告病院での治療において、左下腿の腫瘍部及び瘢痕部を切除する手術をした後、直ちに植皮することなく、切除部位に放射線を照射したため、下腿の深部組織に達する放射線障害を惹起し、結局その後の植皮の生着が見られなかったことと、加えて、重篤な感染が生じているのにその対症処置が遅れたため、感染化膿が進行したことによるものであって、被告病院での治療行為に基因するものである。

仮りに、原告の左下肢の症状において、被告病院を退院した時点と左下肢を切断した時点とで若干の相違があったとしても、原告が左下肢切断のやむなきに至ったのは、放射線障害及び植皮術の失敗による重篤な感染化膿の進行、そのことによる皮膚、皮下組織、筋層、骨の類壊死ないし壊死によるものであるから、結局原告の左下肢切断と被告の治療行為との間には相当因果関係が存在するものである。

5  被告の責任

以上により、原告は、被告病院の医師による治療を受ける過程で、担当医師の債務不履行により左下肢切断の結果を招来せしめられたのであるから、これによって被った損害は、被告病院を開設している被告によって償われなければならない。

6  原告の被った損害

(一) 治療費 金六三万四八三一円

昭和五〇年二月九日から同五一年一月二二日までの間、原告が梶原病院で受けた入通院治療に要した費用。

(二) 休業損害 金八四万円

原告は、当時訴外大西節子経営のセツ美容室で働き、一箇月七万円の給料を得ていたところ、昭和五〇年一月三〇日から同五一年一月三一日までの間休業したことにより、合計八四万円の給料の支払を受けられず、右同額の損害を受けた。

(三) 逸失利益 金三六二八万六六五一円

左下肢を膝関節以上で切断したことから生じた後遺症による労働能力喪失割合は九二パーセントであり、昭和五一年二月一日現在における原告の年齢は三一歳であり、同日を基準とした場合その後の就労可能年数は三六年である。

そして、原告は、昭和四五年に美容師の資格を取得し、本件治療の当時先のとおりの給料(当時の原告の年齢における美容師の平均的賃金であった。)を得ていたので、本件の後遺障害がなければ美容師として働き、美容師としての平均的賃金を得ることができたはずである。

一方、昭和五九年度賃金センサス第三巻による美容師(女子)の全年齢の平均年収は、金一九四万五四〇〇円であり、本件につき、原告の逸失利益を算定するに際しては、長期間にわたり美容師としての勤務ができなくなる場合であるから、昭和五一年当時の原告の現実の年収を基準とするのでなく、賃金上昇分も考慮に入れるため、既に明らかになっている前記賃金センサスによる額を基準とすべきである。

そうすると、原告の逸失利益は、ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除すると、次の算式により金三六二八万六六五一円となる。

一九四万五四〇〇円×〇・九二×二〇・二七四五=三六二八万六六五一円

(四) 慰謝料 金一五〇〇万円

年若い女性の身で、左下肢切断のやむなきにいたったことにより原告が受けた精神的苦痛は計り難く、治療期間中におけるもの及びその後の後遺症に伴うものを通じて、これらを慰謝するに足る金員は、一五〇〇万円を下るものではない。

(五) 弁護士費用 金三二〇万円

原告は、本件訴訟を財団法人法律扶助協会の扶助を得て、本件訴訟代理人弁護士両名に依頼し、勝訴の場合、着手金及び成功報酬を支払うことを約した。弁護士費用としては、三二〇万円が相当である。

7  まとめ

以上により、原告は被告に対し、債務不履行による損害賠償として合計金五五九六万一四八二円及び右のうち弁護士費用を除いた金五二七六万一四八二円に対する昭和五一年二月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実につき

(一)の事実は知らない。

(二)の事実は認める。

(三)の事実は認める。被告病院での治療方針は、腫瘍の切除手術後、その部位及び瘢痕部の植皮手術をするものである。

(四)の事実は認める。ただし、手術を担当した医師により癌病巣の取り残しのないことが確認されたのは、病巣皮膚面の広さに関してに限られる。深さに関しては確認されていない。なお、長尾医師は、腫瘍周縁部から二センチメートル離して腫瘍部分の皮膚及び皮下組織を切除したものである。

(五)及び(六)の各事実は認める。

(七)の事実のうち、原告主張の第一回目の植皮手術が試験的なまた部分的なものであったことは否認する。その余は認める。なお、原告の左下腿後面に血管拡張とびらん状態が見られたのは、その一部においてのみであり、また、びらんとは、表皮のみの欠損であって、瘢痕を残さず治癒し、放射線障害の程度としては第三度とされる状態で、照射終了後適切な処置により十分回復するものである。

(八)の事実のうち、原告主張の日時に第二回目の植皮手術がされたこと、右植皮手術は切除部分全体に対するものであったこと及び植皮片が生着しなかったことは認める。その余は否認する。原告の症状に感染による化膿はなかった。

(九)の事実につき、原告の全身衰弱が激しかった点は否認し、退院の経過については認める。

(一〇)の事実につき、被告病院を退院して後の原告の治療状況については知らない。

3  請求原因3ないし5の各主張は争う。

詳細は後に三で述べるとおりである。

4  同6につき、原告主張の各損害の発生及び損害額を争う。

三  責任原因に対する被告の主張

1  放射線治療の時期について

(一) 放射線治療の実施自体について

原告を診察した長尾医師は、最初の段階で既に、原告の左下腿の患部潰瘍を実際上は皮膚癌と確診していたが、カルテ上は「おそらくは皮膚癌」との傷病名を付した。その後間もなくなされた組織検査の結果、右潰瘍は「扁平上皮癌」であることが判明した。

このような場合に原告に対しなすべき癌治療として考えられるものには、根治療法としての下肢切断と保存療法としての局所切除とがあり、後者は、切除後の放射線治療を前提とするものである。長尾医師は、原告が年若い女性であることや家族の希望を考慮して、極力切断術を避けることにし、リンパ節への転移のなかったこと及びX線写真で判断する限り骨には異常がないことが検査の結果からわかっていたことも考えて、保存療法を選んだ。

長尾医師は、腫瘍部切除手術の際、切除すべき広さに関しては病巣から二センチメートル離して腫瘍を切除したが、深さに関しては、肉眼的にも腫瘍の最深部は骨膜にまで達していることが判明したので、骨膜部分まで切除し、切除部分を病理検査に回すとともに、癌細胞の取り残しを懸念して、放射線治療を行うことが必要であると判断した。

癌病巣は、一見正常と見える周辺組織へ多方向に数センチメートルの広がりをもつと考えるのが癌診断の常識であり、この広がりを想定して治療に当たるのが最も大切である。したがって、長尾医師が癌細胞の取り残しを懸念して、切除部位に放射線治療を施すことが必要だと判断したことに落度はない。

(二) 植皮手術と放射線治療の先後関係について

治療処置の方針の樹立や実施法については、一般的に医師の裁量に委ねられている範囲が大きいことはいうまでもない。したがって、癌摘除手術の後取り残しが懸念される場合に、植皮後放射線照射をするか、放射線照射後植皮するかは、主治医の方針によって決定されるべき事項である。

そして、長尾医師は、原告の癌腫瘍については、(1)患者の年齢が若く、(2)下腿の瘢痕部に発生しており、(3)腫瘍が縦一二センチメートル、横八センチメートルと大きく、(4)深部が骨膜まで達しておりかなり進行していることから、まず癌に対する治療をすべきだと判断をしたものであって、その判断は相当である。

なお、植皮手術による植皮片の生着を待て放射線治療をしたとしても、自然の皮膚の状態になる前に当時専ら使用されていたコバルト六〇を照射する限り、植皮片は再び自然の皮膚以上の放射線障害を起こすことは必至である。また、そうかといって、自然の皮膚の状態になるまで放射線治療を待つとすれば、今度はその間の癌転移・再発の危険が余りに大きく、転移・再発が生じた場合には生命に危険を及ぼす状態となろう。

2  放射線照射の範囲について

放射線を照射した範囲は、横一〇センチメートル、縦二二センチメートルで原告主張のとおりである。右照射範囲をはじめとしてその他照射量等放射線照射計画を立てたのは、兵頭医師である。同医師は、皮膚科からの紹介状・皮膚科カルテの検討と、原告患部の診察、放射線科独自のX線検査等により、脛骨の遠位側骨幹端から骨幹にかけて溶骨性及び骨粗鬆症の変化がみられたことから、長尾医師とも協議のうえ、骨変化部分を広く照射範囲に含ませて前記のような照射野を決定したものであって、同医師のとった処置は適切である。

3  植皮手術の術前術後の管理について

(一) 感染予防上の注意義務違反の主張について

昭和四九年一二月二日に細菌培養をなし、黄色ブドウ球菌を検出しこれに対する適切な処置がなされた。その後細菌培養を必要とする事態は生じていない。また、ケフリンを一日二グラム投与することで感染予防は完全になされていた。そして、長尾医師自身による創処置が継続して行われ、慎重な経過観察がなされていた。

(二) 術後管理上の注意義務違反の主張について

(一)で述べたように、主治医による慎重な経過観察がなされていたにもかかわらず、植皮手術後抗生物質の投与を特に必要とする症状は認められなかった。また、不必要な抗生物質の投与により菌に耐性が生じることは避けなければならない。これらの理由により、抗生物質の投与は控えられていた。もっとも、昭和五〇年一月一六日二〇時の検温で発熱が認められたので、翌一七日細菌培養検査をしたところ、病原性の菌は抑えられていて、毒性の弱い変性菌のみが検出され、血液検査の結果も白血球数の異常は認められなかった。そこで、発熱に対処すべきものとしてリンコシンの投与がなされた。

いずれにしても、細菌感染に対し、あるいは肉芽形成促進に対し必要な注意が払われており、不適切なところはなかった。

(三) 筋萎縮、関節強直の予防処置懈怠の主張について

原告の左下肢全般の筋萎縮、膝及び足関節の固定強直の症状は、被告病院入院中には見られなかった症状である。すなわち、長尾医師は、創処置の都度関節の動きには注意を払ってきたが、右症状は全く認めていない。

右の症状は、原告が被告病院退院後梶原医師の治療を受けている間に、筋肉までの壊死を招来したことによるものである。したがって、被告病院医師に原告主張の義務懈怠はない。

4  被告病院での治療と原告の左下肢切断との因果関係について

被告病院を自己退院したころの原告の左下肢の状態は、一週間の外泊許可を与えることができるほどであって、決して切断を免れない状態ではなかった。被告病院としては、植皮部位の肉芽の形成を待って植皮の回数を重ねることで回復を図ろうとしていた。しかるに、原告は、自らの意思で被告病院を退院し、梶原医院に入通院(昭和五〇年五月一日から同年八月二六日までは通院。)した後、被告病院退院後約八箇月後に切断手術を受けたものであって、この間の原告の治療に取り組む姿勢の悪さと梶原医院での施療のまずさから感染化膿を進行させて切断のやむなきに至ったものということができる。したがって、被告病院での治療行為と原告の左下肢切断との間に被告に責任を帰せしめるほどの因果関係はない。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者

一  当事者

請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  当事者間における診療契約の成立と被告病院における原告の治療経過

1  原告と被告(担当医は皮膚科の長尾医師)との間で、原告の左下肢の潰瘍及び瘢痕部の治療についての診療契約が、昭和四九年八月一三日原告が被告病院皮膚科に外来診療を求めた時点で成立したことは、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実と《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない(なお、右認定事実の中には、1で述べた事実以外にも当事者間に争いのないものが含まれている。)。

(一)  原告の被告病院入院までの経過

原告は二、三歳のころ交通事故に遭い、その後遺症として、左下肢の膝下約一〇センチメートルの所から足首にかけて、ほぼ一一時から二時までの位置に瘢痕が存在し、表面は比較的平滑、紫がかった所、白色の所があり斑状を呈し、足首の部分は一部引きつっており、健側に比し足首はやや細く、ふくらはぎも右足に比べるとやや細っていた。昭和四八年夏ころ右瘢痕部を飯台の角で打って後、その部位に出血、結痂を反復するようになり、自宅近くの町医者に診てもらったり、売薬を塗布したりして治療したけれども治癒せず、むしろ次第に増悪し疼痛を覚えるに至った。そこで、松山市所在の鶴井外科医院の医師鶴井源太郎の紹介で、昭和四九年八月一三日被告病院整形外科の森田医師の診察を受けるべく同病院を訪ねた。ところが、受付で同病院の皮膚科に行くよう言われ、皮膚科の酒井医師の診察を受け、さらに、同医師の上司に当たる長尾医師の診察をも受けた。長尾医師は、原告の症状を「VaH・K(おそらくは皮膚癌)」と判断し、その日のうちに手術を前提とした検査と潰瘍部の組織検査をし、同時に原告の左下腿の写真撮影をした(この時の写真が検乙第一、第二号証の写真である。)。翌一四日にも長尾医師が原告を診察し、腫瘍が骨にまで達しているかどうかを調べるためX線写真を撮影し、さらに、左右のそけい部のリンパ節に転移しているかどうかを調べるため抗生物質(ナタシリンとダーゼン)を投与した。そして、同月一六日には左そけい部リンパ節を一部切除・採取して組織検査に回し転移の有無を確認した。これらの検査結果が判明したのは四、五日後であり、これらにより原告の病名は「扁平上皮癌」であると診断された。しかし、そけい部リンパ節への転移はなく、X線写真によると骨に融解像が見られず腫瘍(癌病巣)が骨にまで浸潤しているとは認められなかった。

右の状態を前提にした場合、原告に対する癌治療の方法として考慮されるのは、根治療法として左下肢を切断する方法と、対症療法として患部の切除及び抗癌剤の投与並びに切除部位への植皮手術をする方法であった。長尾医師は、前記のような諸検査の結果(特に転移がないと考えられたこと)から、後者の方針を採用する旨決定した。そして、原告に対しては、癌であることを告げるのを避け、「壊疽性膿皮症であり、自己免疫疾患であって、このままにしておくとどんどん広がる病気である。」と説明し、入院したうえ患部の切除手術を受ける必要がある旨告げた。原告はこれを聞き入れ、同月一九日被告病院に入院した。

(二)  入院から切除手術までの経過

原告の入院後、被告病院では原告の身体状況が切除手術に耐え得るかどうかの諸検査をしたところ、別段障害となる結果はなかったことから、八月二二日切除手術をすることになった。切除手術は、酒井医師を助手として長尾医師が担当し、同日午後一時半から二時半までの間に行われた。まず、イソジンで左下肢全体を消毒し、キシロカインで局所麻酔し、更に病巣部を消毒した後、病巣部から二センチメートル離して作図し、それに沿ってメスを入れて病巣部を取り除けた。切除した範囲は縦一四・五センチメートル、横一〇センチメートルくらいである。その切断端の所は、肉眼的には病変は見当たらなかったが、底部の所は骨膜にまで達する病巣があり、骨膜も一部直径二センチメートルくらい剥ぎ取った。長尾医師は、即日切除片を組織検査に回し、癌細胞の取り残しがあるかどうかを調べることにした。

(三)  放射線治療について

長尾医師は、前記切除手術時における所見によれば、病巣の底部が骨膜にゆ着していたことから、癌細胞の取り残しを懸念して、切除手術の翌日である八月二三日付けで、同病院の放射線科に対し、原告の病状及び切除手術の経過を記載した紹介状を作成して回付し、放射線治療を依頼した。

右紹介状を受けた放射線科では、兵頭医師が中心となって放射線治療計画を練り、同月二六日、対向二門照射の術式でコバルト六〇を六回までは連日その後は隔日に、線源病巣間距離六五センチメートル、線強度毎分二〇ラドで、縦二二センチメートル、横一〇センチメートルの範囲で五〇〇〇ラドまで照射し、その経過を見て残りの追加(合計六〇〇〇ラドまで)をするかどうか検討する旨の治療計画が立てられた。同計画に基づき、同月二七日から同年九月二四日までの間に、結果的には合計五〇四〇ラドのコバルト六〇が原告の左下腿の前面及び後面に照射された。

(四)  第一回植皮手術について

原告は、放射線治療が終った後、昭和四九年一〇月二日一時退院し、通院のうえ、放射線皮膚炎等に対する観察と処置を受けつつ、植皮の生着を良くするための肉芽の形成を待っていた。そのころの症状としては、病巣周辺に紅斑や小水疱が多くでき、灰黄色苔を付養し肉芽の形成は良くなかった。

長尾医師は、同年一一月一二日ころ、原告を同月一八日に再入院させ同月二六日ころ植皮手術する方針を立て、その間肉芽形成を促進させることとした。

原告は、予定どおり同月一八日再入院し、同月二六日第一回目の植皮手術を受けた。この手術は、恵皮部(植片を提供する部分。この手術ではへその下部)から全層約一ミリメートルの皮膚のうち〇・三ミリメートルくらいの厚さで皮膚を採り、これを被皮部(植皮される部分)に載せて、その上に細かく切ったガーゼを置いてでこぼこをなくし、さらにその上に大きなガーゼを二枚貼り、一度清潔なばん創こうで周囲を固定した後、さらにまたその上にガーゼを一〇枚くらい重ねて置いて圧迫固定をする方法でなされた。

なお、植皮手術には植皮方法による区別として、有茎植皮と遊離植皮があり、原告に対してなされた方法は後者である。有茎植皮は皮膚の全層を剥離して移植するもので生着しやすいが、本件の場合右足の下腿部から皮膚を一部くっつけたまま剥離してこれを左足の着床部位に貼り合わせ、両足を固定したまま生着を待ち、生着した段階で右足から植皮片を切り離すという方法となる。この場合、右足にも大きな痕跡が残ることと、両足を固定している期間に患者の受ける苦痛が大きいという欠点がある。長尾医師は、これらの諸点を考慮した結果、原告に対し前記のような遊離植皮の方法を選んだ。

(五)  第一回植皮手術から第二回植皮手術まで

前記植皮手術後の植皮部は、昭和四九年一二月二日に術後初めて圧迫包帯を開いてみると膿があり、これにつき細菌培養検査をしたところ、同月四日黄色ブドウ球菌に感染していることがわかり(乙第一号証の九一培養試験報告)、さらに、同月六日の診察によると、植皮片の下に滲出液があって水疱様となっており、灰黄色調の痂皮が付着して乾燥していた。また、脛骨前面の上方部、下方部は疼痛が強く、後面は血管が拡張していた。

この状態から、長尾医師は、植皮片の生着は難しく、肉芽の形成を待って再度植皮手術をする必要があると判断し、この間病巣を乾燥させないこと、細菌の発育を抑えること及び放射線皮膚炎に対する処置を執ることを決めた。

そして、同月一四日ころ、原告の疼痛が強かったため、これを早く抑える必要があったことと肉芽の形成が見られたことから、長尾医師は、再度の植皮術を近日行うこととした。

(六)  第二回植皮手術について

昭和四九年一二月一九日午後一時半から三時半にかけて、長尾医師(助手荒瀬医師)によって第二回目の植皮手術が行われた。手術の内容はおおむね前回と同様であるが、今回は第三と第四の腰椎の間にペルカミンS二CCを注入してなす腰椎麻酔をしたうえ、腹部のへその周辺から厚さ〇・三ミリメートルで皮膚の表層を剥離し、これを被皮部に載せガーゼで圧迫し包帯する方法でなされた。

(七)  第二回植皮手術から原告の退院まで

被告病院医師記載の原告に関する診療録は、昭和四九年一二月二七日までについては相当に細かな記述がなされているものが存在するのに、その後退院時までの約一箇月については、記述されたものが全くなく(正確にいえば、もともと記述が全くなされなかったのか、少なくともいくらかの記述はなされたにもかかわらず何らかの理由により証拠として提出されないままになっているのかのいずれかである。右のいずれであるかを明らかにする資料はない。しかし、一二月二七日までの記述の状況から見て、その後の一箇月間全く何の記述もなされなかったと考えることに不自然さが伴うことは否定できない。この点については、被告からも被告病院医師からも説得力ある説明はなされていない。)、この間の原告の状況を記した被告病院の記録としては、看護婦の記載する看護記録及び指示実施記録があるのみである。

原告は、手術の翌日の二〇日夜から発熱(三八度)し、さらに、二一日には、滲出液が包帯の外側にまでしみだしたため細菌感染が懸念される状態であった。長尾医師は、同日圧迫包帯を取り替え、二二日にも植皮部のガーゼをとって、ソフチュール(抗生物質プラジオマイシンを入れたガーゼ)を当て、二四日にはリンデロンVG軟膏とケフリン二グラムを併用して感染防止に務めた。こうして、同月二九日ころには発熱もなくなり局所の感染は一応治まった。しかし、植皮片は生着せず、一二月三一日に原告が外泊許可を得て自宅に戻ったころにはほとんどすべて落ちてしまっていた。原告は、正月の期間、許可を得て外泊した後、昭和五〇年一月六日再び被告病院に戻った。長尾医師は、再び肉芽形成を促進して植皮を試みる方針を採った。原告の疼痛はこのころから一層激しくなり、鎮痛剤が多く投与されるようになった。さらに、三七度五分程度の微熱が続き、一月一七日から一八日にかけて三八度を超える発熱(最高は三九度五分)があり、長尾医師は尿路感染症、急性胃炎、あるいは左下腿傷口の感染をその原因と想定し、抗生物質を投与したところ、同月二〇日には熱も治まった。

このころ、便の潜血反応が陽性であったので、長尾医師は、消化器に潰瘍があるかもしれないと考え、一月二七日に胃のX線透視を予定していたところ、原告から外泊願いがあったので、一週間の外泊許可を与え、この間通院しての治療を予定した。原告は、同月二七日被告病院から自宅に戻り、二九日に被告病院に対し帰院しない旨連絡した。病院としては、治療途中であったため引き続き治療をする考えであったが、原告が退院を強く希望したので、被告病院も自己退院扱いとし、長尾医師は、同年一月二九日付けで、原告が次に通院を希望した町野医師宛に紹介状を書き、原告に交付した。

三  原告が被告病院を退院してから、左下肢切断に至るまでの経過

《証拠省略》によれば、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和五〇年一月二八日、当時姉山内律子が看護婦見習をしていた町野医院(愛媛県大洲市所在)で診察を受け、次いで同月三一日前記長尾医師の紹介状を持って同医院を訪れ、痛み止めの治療を受けた。

町野医師は、肉芽創に覆われている部分が広く、適切な方法で植皮をする必要があると判断し、他の大きな病院に転院するよう勧め、その後、同日のうちに原告からの依頼によって往診して痛み止めの処置をしたのを最後に、以後の診察、治療はしていない。

2  原告は、昭和五〇年二月一日松山市千舟町所在の梶原病院で診察を受けた。

梶原医師は、原告の身体が非常に衰弱しており食欲がないことから、入院させたうえ食欲の増進を図って体力をつけ、肉芽の形成を促進することを考え、そのために内科医師の来院を得て協力を求めたり、創面の化膿を防止すべく抗生物質を投与したりしつつ、創面の回復を待った。ところが、原告は、昭和五〇年五月一日自宅で用事ができたから一度帰ってきますと言って梶原医院を退院し、同年八月二六日に再入院するまでの間は同院への通院治療に切り替えた。しかし、病症は悪化する一方であったので、梶原医師は、知り合いの医師に写真を見せたり経過を説明したりして判断を仰ぎ、終局的には左下肢を切断するほかないと判断し、八月二六日原告が再入院してからは、体調を整えて切断術を実施することとし、同年九月一六日、他に二名の医師の介助を得て、原告の左下肢を膝上約一〇センチメートルの所で切断する手術を実施した。

四  被告病院での治療行為の不完全さ

原告は、右認定の経過をたどって、左下肢を膝下約一〇センチメートルの所で切断した。原告は、右切断のやむなきに至ったのは被告病院での治療行為に不完全なところがあったためであると主張する。

以下、右の点につき検討する。

1  放射線治療と植皮手術の先後関係について

(一)  原告は、左下腿の腫瘍部切除手術後植皮を行う前に放射線治療を施したことが、患部に重篤な放射線皮膚炎を惹起したとして、原告の症状に照らし放射線治療をするとしても、植皮の後でよかったと主張する。

(二)  前記認定のとおり、切除手術前の長尾医師の判断は、原告の症状は、扁平上皮癌ではあるがリンパ節への転移はなく、かつ、X線写真の判読では骨への浸潤も認められない、というものであった。長尾医師は、右判断を前提に、手術後も、腫瘍部から二センチメートル離した範囲を切除したので、広さの点では取り残しはないと考えたが、深さの点で、切除部位のうち骨膜にゆ着していた所があって骨膜を一部切除する状態であったため、取り残しを懸念して、放射線治療を放射線科に依頼したものである。

(三)  《証拠省略》によれば、癌患者に対する治療として放射線照射がなされるのは、一般に術前照射であると説明されている。すなわち、早期で腫瘍が病巣部位内に留まっており、所属(領域)リンパ節への転移がないものについては、病巣の摘出手術が成功しさえすれば術後照射は意味を持たないこと、そして、再発防止の観点から術後照射が有用とされるのは、非常に局所再発の可能性が強い場合であるとか、所属リンパ節への転移の可能性が高い場合であると説明されている。

この点、兵頭医師(証人兵頭春夫)の証言でも、皮膚癌の場合には、外見上腫瘍がわかるので病巣が小さいうちに発見される場合が多く、切除術のみで終る例が多いため、一般に治療として放射線照射がなされることは少ないことが認められる。

また、《証拠省略》によれば、①皮膚は身体の一番外を被覆し、深部組織を保護する器官であること、②手術創を含め皮膚に欠損や潰瘍が生じた場合、通常は肉芽組織が増殖し、幼弱な結合織組織が形成され、この表面が増殖した表皮細胞により被覆されることによって創傷が治癒するのであるが、正常な肉芽組織は旺盛に増殖する幼弱な毛細血管、結合織組織、白血球、間葉系細胞などから成り、細菌感染等により肉芽の形成が妨げられると創傷の治癒は困難となること、③本件のように腫瘍部切除術によって皮膚の欠損部位が生じた場合には、皮膚のある場合に比べると細菌感染の可能性が大きくなり、その可能性は、欠損部位が大きいほど、また欠損の期間が長いほど増加すること、④したがって、右欠損部位への植皮はできる限り早期に行うのが望ましいこと、⑤そして、皮膚の欠損部位に放射線(コバルト六〇)を照射する場合にはより重篤な感染障害が生じやすいこと、すなわち、コバルト六〇の持つ放射線は高エネルギーを有する電磁波であり、細胞に対し変性、壊死などの障害作用を有する(この作用がとりもなおさず癌細胞に対し有効性をもつ理由である。)もので、特に旺盛に増殖する細胞に対する影響力が強く、皮膚の欠損部位に肉芽が形成されようとする際には、一層の障害作用を示し、創面に炎症を起こしたり、感染を生じさせたりしやすく、そのために肉芽の形成を妨げ、その後の植皮を著しく困難なものとすること、⑥加えて、本件では、原告に腫瘍部切除術の施された脛骨前面は、もともと血行の少ない箇所であって、植皮の困難な部位であるとされていること、すなわち、遊離植皮において植皮片が生着するのは、植皮床からの血行が再開することによるものであり、植皮床に血行が多いほど植皮片の生着が良く、逆に血行が少ないほど生着が悪いこと、⑦植皮による手術創の治癒が完了するまでに要する期間は二、三週間であることが認められる。

(四)  以上検討してきたところからすれば、本件につき切断を避け、腫瘍部切除の後植皮をすることを予定していた長尾医師としては、他にそれを妨げるべき事情が存在しない限りできるだけ早期に植皮をすべきであったといわなければならず、本件において、原告の左下腿に皮膚の欠損状態のまま放射線(コバルト六〇)を照射することが是認されるには、その後の植皮の生着が著しく困難となるという犠牲を払ってでもなお、その段階で術後照射をすることを必要とする特別な事情、例えば右患部の癌がもともと再発性の強い性質のものであるとか、所属リンパ節等への転移の危険が大きいとかなどの事情が存在しなければならなかった、と考えられる。これを取り残しの可能性との関連でいえば、癌切除手術後も抽象的には常に存在する取り残しの可能性に対処するためのみの目的で右のような照射をすることは許されず、これが許されるのは、取り残しの可能性が抽象的に認められるのみでなく、右可能性が一定以上に大きいことを認めさせる具体的な根拠が存在する場合に限られるというべきである。

もとより、治療方針の決定には、担当医の裁量に委ねられる部分が多いことは、被告主張のとおりである。しかし、その裁量にも合理性が必要であり、その判断に合理性からの逸脱があると認められる場合には、法的責任が問われることになる。

(五)  そこで、次に、本件において右の意味で植皮前に放射線治療を施すべき特別の事情が存在したかどうかを検討する。

まず、兵頭医師は、この点につき原告の左下腿のX線写真により、「脛骨の遠位端に骨融解像や骨粗鬆症が見られ、これにより癌は骨にまで転移していると判断された。」と証言しており、また、長尾医師は、「腫瘍切除手術のとき、病巣が骨膜にゆ着していたので、癌細胞の取り残しが懸念された。」と証言している。本件において前記特別の事情に該当するものがあるとすれば、右各証言に見られる点であると考えられるので、この二点について他の証拠とも対比しつつ検討してみる。

(1) まず、兵頭医師の証言部分につき検討する。

結論としては、癌は骨にまで転移していると判断されたとの趣旨の兵頭医師の証言は採用できない。兵頭医師の証言に見られるような明確な判断が真になされたとすれば、普通ならば、その後の治療経過、原告またはその家族への対応、原告が退院した際の町野医師への紹介状の内容等にその跡が何らかの形で残されていてよいと思われるのに、そのようなものは、本件で問題とされている放射線照射がなされたとの事実そのものを別にすれば、全く見出せないからである(たとえば、骨に転移している可能性が一定以上に大きいと判断されたのであれば、確認のための処置が更にとられるであろうし、確認されれば、切断に踏み切るかどうかも真剣に検討されなければならないはずである。また、直ちには切断に踏み切らず当面は放射線による治療を採用することにしたとしても、その効果については観察が続けられなければならないはずである。ところが、このような処置、検討、観察がなされたことを窺わせる資料は全く残されていない。)。

のみならず、仮に兵頭証言に見られるような判断が真になされたとしても、右判断を合理的なものとして前記特別事情に結び付けることはできない。すなわち、①長尾医師の診断した原告の症状は、昭和四九年八月一四日撮影のX線写真の読影では骨への浸潤はなく、当時の病理検査の結果では所属リンパ節であるそけい部リンパ節への転移はないというものであること及び②荒尾鑑定においては、(1)原告の症状は右検査結果から癌の進行度の第一度であり局所に癌が留まっている場合と判断され、そして、(2)その主病巣が左下腿(膝から足首まで)のほぼ中央に位置していたこと(この点は証拠上明らかであり、被告も争ってはいない。)からすれば、兵頭医師がX線写真の読影により脛骨遠位端(足首の近くの位置)に癌細胞の浸潤による骨の異常を認めたとするのは、浸潤の位置が主病巣から離れた位置であって不自然であるとされ、また、(3)X線写真に現われる骨の変化は、強固な瘢痕によっても生じることがあり、原告の場合幼児期に受けた交通事故による外傷が拘縮を来す程度の深い瘢痕を生じ、部分的には皮膚直下に位置する脛骨骨膜にゆ着していて(このことは、足首やふくらはぎの部分が健康な反対側の足に比べ細かったことから窺えるとする。)、これがX線写真に現われた同骨の変化の原因となっていることもあり得るとされていることからすれば、X線写真の読影から、取り残しにつき、前記特別事情に該当するほどの大きな可能性(この場合は骨への転移の可能性)を認めることはできないといわざるを得ないのである。

(2) 次に、長尾医師の証言部分につき検討する。

腫瘍部が一部骨膜にゆ着していた原因は強固な瘢痕であるとも考えられることは前項で記述したとおりである(一部切除したとする骨膜自体の病理組織学的な検査がなされていない、あるいは、なされたか否か自体が明らかでないので、骨膜への癌細胞の浸潤の有無を確認することができない。このこと自体、被告病院医師が、取り残しを具体的な形ではとらえていなかったことを物語っていると見ることもできよう。骨膜への浸潤の可能性が一定以上に大きいと判断されたとすれば、少なくともその段階では、切除された骨膜自体の検査がなされ、それが何らかの形で記録に残されるべきものと考えられるからである。)。また、《証拠省略》によれば、長尾医師が切除部分を病理組織学的に検査してもらって取り残しがあるかどうかを確かめたところ、「断端から二、三ミリメートルの所まで、浸潤プラス」の回答があったことが認められる(ただ、この検査報告がどの時点で長尾医師に知らされたものかは証拠上特定し難い。)。この回答の見方について、荒尾鑑定では、二、三ミリメートルの数値が何倍かに拡大した顕微鏡で視たうえでのものか、肉眼で視てのものか不明であるとしつつ、後者の場合だとすると切除した部分は相当健康な部分を含み、余裕をもって切除されたものと判断され、医学的には非常に安全率が高いことになるし、前者の場合であっても、本件について組織写真からは悪性のもの、すなわち速やかにどんどん増殖していく癌とはみえないところから、切除部分になお癌に冒されていない部分がある以上取り残しはないものと判断してよいとしている。

こうしてみると、本件の場合、長尾医師らによる腫瘍部切除手術により一応原告の左下腿の癌病巣は取り除かれたと判断するのが合理的であり、長尾医師の証言をもってしても、植皮前に皮膚欠損状態のま切除部位に放射線を照射しなければならない特段の事情があったとすることはできない。

(六)  以上の検討結果により、本件について、被告病院医師が腫瘍部切除手術後植皮をする前に、皮膚欠損状態のまま、その部位に放射線を照射する治療を施したことは、そのもたらす悪影響を考慮してもなお照射を優先すべき事情がないにもかかわらず、結局のところ、癌切除手術においては取り残しの可能性は常に存在するのでこれに対処するためには放射線照射を早期にすべきである、との考慮のみに基づき、植皮への影響を深く考えることなく、これを実施したといわざるを得ず、診療契約上の善管注意義務を欠いた債務不履行であると認められる。

2  放射線照射の範囲について

原告の主張は、放射線の量や照射範囲のいかんを問わず、植皮前に放射線を照射すること自体が誤りであるとするものであり、この主張が認められた以上、照射範囲の当否を判断する必要があるかどうか問題である。しかし、照射範囲に関する原告の主張には、照射範囲のいかんは原告に生じた放射線皮膚炎の度合に影響を持つ、との主張も含まれているので、以下検討する。

(一)  兵頭医師(証人兵頭春夫)の証言によれば、同医師は、原告の場合癌の進行度が進んでおり、骨にまで浸潤し、脛骨の遠位端まで癌細胞に冒されていると判断し、このことも考慮の一つとして、当時の照射機械でとりうる最大の長さであった二二センチメートルを縦の照射範囲と定めたことになる。

しかし、右の前提が採用できないことは先に説示したとおりである。

次に、《証拠省略》によれば、医学上一般に、①照射野を決定するについては、腫瘍の進展範囲決定の際の不精確性と移動性が考慮されなければならないとされ、皮膚癌のように目で確認できるものについては、一センチメートルほどの余裕をもって、確実な位置の掌握と再現性の保持が不可能な場合でも二センチメートルの余裕で、照射すべきとされていること、②これは、治療すべき箇所に線量を集中させ、それ以外への線量を最小にするのが放射線治療の基本理念であるところからくると説明されていることが認められる。そして、この説明は、放射線治療がもたらす細胞への影響を考えれば、十分首肯し得るものである。

本件の場合、縦の長さに関してみると、切除した範囲は一四・五センチメートルに及んでいるが、これを病巣の回りに約二センチメートルの余裕をもって作図したためであり、病巣自体は縦約一〇センチメートルであったことからすれば、照射野を二二センチメートルに広げたことは、先の脛骨遠位端に癌細胞による骨の変化があったとする兵頭医師の証言が採用できない限り、合理性を持たない照射野の決定であるといわざるを得ない。

3  原告は、右の二つのほかに術前術後の感染予防上の義務懈怠をも主張している。しかし、荒尾鑑定も、この点については、被告病院の処置は細菌感染に対し、あるいは肉芽形成促進に対し必要な注意が払われており特に不適切とみられる点は見出しえなかったとしており、長尾医師(証人長尾栄治、第一、二回)の証言でも、被告病院としても原告の創処置、肉芽形成促進のため尽力してきたことが認められる。右各証拠を排斥して原告の主張を採用させるだけの証拠は、本件全証拠を検討しても見出せない。右主張は採用できない。

五  被告病院医師の債務不履行と原告の左下肢切断との因果関係について

被告は、原告が左下肢を切断するに至ったのは、被告病院を退院して後梶原医院で十分な治療を受けなかったことや治療に対する原告の態度に真剣さが足りなかったことから、症状の悪化をもたらしたことによるものであるとして、被告病院での治療行為と原告と左下肢切断との間に因果関係はないと主張する。

しかし、これまで検討してきたところからすれば、①原告が被告病院で治療を受けるようになった当初、その左下腿の病巣は下肢の切断を要するものではなかったこと、②長尾医師の立てた治療方針も病巣部位を切除し、取り残しの可能性があるので放射線治療を施したうえ、植皮をするというものであったこと、③ところが、皮膚欠損の状態で放射線を照射したため、放射線皮膚炎を生ぜしめたこと(この点は、その程度はともかく被告も認めるところである。)、④このため植皮の生着に必要な肉芽の形成が妨げられ、結局二度にわたっての植皮がいずれも失敗し、この間原告の左下腿は感染を伴って病巣のあった前面はもとより後面の組織も損傷していったことを認めることができる。

この点については、被告病院を退院して最初に原告が訪ねた町野医師が、原告を診たときの状態につき、「ほとんど下腿全面にわたって皮膚が欠損し、一部に骨が見え、感染を伴った肉芽創があった。」と証言し、その後に原告を診察した梶原医師もほぼ同様の証言をしており、これらの証言は、そのままの形で採用してよいかどうかには疑問が残るものの、原告の左下腿は被告病院での一連の治療の過程で皮膚欠損、筋肉欠損、脛骨及び腓骨の露出などの症状が感染を伴って進行したことを十分に窺わせるだけの力は有するものである。

確かに、原告が左下肢を切断したのは、被告病院を退院して七箇月余を経た後のことではある。しかし、この間に原告が梶原医院で受けた治療は、梶原医師(証人梶原勘一)の証言や荒尾鑑定によれば、感染防止や肉芽形成促進あるいは膝関節強直化防止のための保存的療法であると認められ、その処置に特段の不備があったとする証拠はない。

そうすると、仮に、被告病院を退院した時点での原告の左下腿の状態が、その時点での下肢の切断を余儀なくさせるほどのものでなかったとしても(この点については、被告病院を退院した時点での原告の左下腿の状態が、《証拠省略》のように病状の進行したものであったとは考えにくい、とする被告の主張には十分合理性がある。)、その後の保存的療法によっても進行を阻止し得ない状態に至っていたことは否定し得ず、被告病院の治療行為と原告の左下肢切断による損害との間には、因果関係があるといってよい。

なお、因果関係についての被告の主張の中には、被告の治療行為と原告の左下肢切断との間に因果関係が肯定されるとしても、被告にはその損害の全部についての責任はない、とする意見も含まれていると解されるので、この点につき付言する。

まず、梶原医院での治療に、原告の左下肢切断の原因としてその責任が問われなければならない事由があったと認めさせる証拠はない。これは前記のとおりである。また、仮に、梶原医院での治療行為に不備があったとしても、それをもって、原告からの責任追求に対し被告の責任を軽減する理由とすることはできない。というのは、その場合、被害者である原告との関係においては、原告に生じた損害につき、被告のほかに梶原医院もまた責任を負う立場に立つだけのことであって、両病院の間での最終的責任負担割合の点は別として、被告が原告に生じた損害のすべてを負担すべきことに変りはないからである。

次に、治療に対する原告の態度についていえば、原告は、外泊許可を得て自宅に戻っているうちに、帰院しないことを一方的に被告病院に告知したものであり、原告が被告病院を退院した事情には責められる点がないではない。

しかし、《証拠省略》によれば、①原告は、左下腿の腫瘍部を切除した後腫瘍部以外に瘢痕部にも植皮を受けることによって、自己の左下腿の状態が良くなることを期待していたところ、二度にわたっての植皮が生着せず、疼痛が続いて心身とも疲労していったこと、②圧迫包帯をとったときに見た下腿の状態が欠損した皮膚と筋肉組織も退化し、一部には骨も見える状態であったことから、その時に受けた精神的な衝撃、動揺が多大であったこと、③そのうえ、長尾医師から今後の植皮を含めての治療方針、植皮の成功の見通し等につき十分説明されていなかったことが認められる。これらの事実からすれば、切除手術及び植皮に期待をかけていた原告が、失望の余り被告病院での治療を継続する意思を失くしたことにも首肯し得る面がある。原告が現実に置かれていたような状況に置かれた場合、病状を少しでも良くしようとするのがむしろ通常であり、原告が格別その努力を怠ったとする証拠はない。したがって、原告の一方的な退院の事実やその後の治療態度をもって被告の責任を軽減しなければならない事由とすることはできない。

また、梶原病院での治療期間中、昭和五〇年五月一日から同年八月一六日まで通院に切り替えたこととその理由が原告の自己都合であったことは先に認定したとおりであるが、この間も原告が治療を続けたことは事実であり、通院治療に変ったことがその後の症状の推移に特段の影響を与えたとする証拠もない。したがって、この点も被告の責任を軽減すべき原告の落度と見ることはできない。

六  原告の損害

以上により、被告には原告に対する債務不履行責任があることは明らかとなった。そこで、以下、原告の損害につき検討する。

まず、被告が原告に賠償すべき損害の範囲を決定するためには、被告に債務不履行がなかったならば、すなわち、被告病院において放射線照射前に植皮がなされその生着を待ってから照射がなされていたならば、原告の状態はどの段階でどのようになっていたかが明らかとならなければならない。この場合、原告は左下肢切断をしなくてよかったであろうと考えてよいことは、既に述べたところから明らかである。しかし、この場合でも、原告がいつまで治療を受け続けなければならなかったか、原告はいつころまで休業しなければならなかったか、治癒後の原告の労働能力は通常人と全く変らないものであったか等の問題は残り、これらの問題は、事柄の性質からも、一義的に明確にすることは困難であって、厳格にいえば、これらの点を明らかにする証拠はないということもできる。けれども、荒尾鑑定において、植皮による手術創の治癒するまでに要する期間は二、三週間であるとされていることなどに照らすと、被告病院での治癒があるべき姿で行われておれば、遅くとも昭和五〇年一月末ころまでには治癒の状態に達したであろうと考えることも可能と思われる。そこで、右判断を前提として賠償の対象となるべき損害の額を算定する。

1  治療費 六三万四八三一円

《証拠省略》により、原告主張のとおり原告は梶原医院で昭和五〇年二月九日から同五一年一月二二日までの間に治療費として六三万四八三一円を支出したことが認められる。

2  休業損害 八四万円

《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。昭和一九年一一月二七日生まれの女性である原告は、昭和三五年三月愛媛県大洲市立大成中学校を卒業した後、一年半同校に校務員として勤め、昭和三七年から美容師を志し、近くの美容室に見習として四年間住み込み、その後同県伊予郡松前町所在の大西節子の経営する「セツ美容室」に勤めるようになり、四年間住み込みとして働き、その後大工職人である山中順一と知り合って松山市で同棲するようになって、同美容院に三年間通勤した。この間の昭和四五年には、通信教育を受講して、美容師国家試験に合格してその資格を取得した。こうして、原告は、被告病院で治療を受けたころ美容師として「セツ美容室」に勤務し、一箇月七万円の給料を得ていた(この点は、《証拠省略》にも同旨の証明文言がある。)。

原告が原告主張の昭和五〇年一月三〇日から同五一年一月三一日までの間治療のため仕事を休まざるを得なかったことは証拠上明らかであるから、この期間の休業による損害として八四万円が認められる。

3  逸失利益 一六〇九万五〇七二円

前項で認定した原告の経歴及び原告が昭和五一年二月一日当時満三一歳の健康な(ただし、本件でなされるべきであったとされる治療がなされたとしても、何らかの障害が残ったとの可能性は検討の対象になり得る。)女子であったことを前提として、原告の左下肢切断(膝上約一〇センチメートルの位置)に伴う労働能力喪失を原因とする逸失利益を検討する。

(一)  労働能力喪失割合について

一般的に、心身の障害による労働能力喪失割合を論ずる場合の基準とされている自動車損害賠償保障法別表の障害等級表によれば、原告の受けた障害は四級五号に該当し、同級の労働能力喪失割合は九二パーセントとされているので、原告が本訴において原告の喪失割合を九二パーセントであると主張することにも、一応の裏付けは存在する。しかし、労働能力喪失割合は本来個々別々の事案において吟味されるべきであることも当然のことである。本件の場合、原告は本人尋問(第二回)において、「昭和五三年ころから義足を付けて外出歩行することが可能となった。昭和五四年から月に一〇日くらい妹貴子の経営する飲食店(いわゆるスナック)に勤め、午後五時から午後一二時まで働いて五万円ほどの収入を得ている(この収入には肉親の援助の趣旨があると解される。)。日常生活は、山中順一との同棲を続け別の妹厚子夫婦と一緒の借家に住み、原告も家事を妹とともにし、自動車の運転免許も持っていて車の運転もしている。」と供述しており、前等級の該当者としては行動の制限が少ないものと認められ、労働能力喪失割合を九二パーセントとまでみるのは過大であり、その割合は、前記自動車損害賠償保険金(昭和五二年当時)の一級の支給金を一〇〇とした場合の四級の支給金の割合が六八であること、被告病院での治療があるべき姿で行われていたとしても原告の労働能力が通常人のそれより低いものにしかならなかった可能性を否定し切れないことなども勘案して、五〇パーセントであるとし、その限度で労働能力が失なわれたと認めるのが相当であると判断する。

(二)  算定の基礎とすべき収入と中間利息控除のために用いる係数について

原告の逸失利益を算定するにつき基礎とすべき収入は、原則として事故当時現に原告が得ていた金額が基礎となるべきではあるが、原告訴訟代理人の主張するように、事故後一〇年以上経過した現在、その後の美容師を含む女子労働者の賃金が上昇してきていることは公知の事実であり、本件につき三六年の稼働期間を通じて当時の月収七万円を基準とすることは現実にそぐわない憾みがある。

そこで、原告が美容師の資格を有することから、《証拠省略》(昭和五九年度における美容師の平均的収入を示す資料)により認められる年収一九四万五四〇〇円を基準とすべき収入と認める。そして、この収入に就労可能期間三六年とした場合のライプニッツ係数一六・五四六八によって中間利息を控除することとする。

(三)  以上をもとに計算すると、次の算式により原告の逸失利益は、一六〇九万五〇七二円となる。

一九四万五四〇〇円×〇・五×一六・五四六八=一六〇九万五〇七二円

4  慰謝料 六〇〇万円

先に認定したように、原告は一〇年来美容師一筋に励んできた者であり、左下肢切断によって立ち仕事に就けないことからそのみちをあきらめざるを得なかったこと、また、三一歳の若い女性の身で下肢の一方を失ったことは、一時は死をも考えるほどの精神的苦痛を与えたであろうことは、本人の供述をまつまでもなく、推測するに難くないところである。ただし、他方、原告がその左下肢を失う原因となった被告病院での治療は、皮膚癌の中でも悪性であるとされる扁平上皮癌に対するものであり、ある程度以上の加療の遅れなどがあれば、あるいは医師の判断のいかんによっては、当初から切断という方法で行われることにもなりかねないものであったということも厳然たる事実であり、原告の場合を、全く健康であった者が切断のやむなきに至った場合と同一視することも相当でないというべきである。これらの事情を総合的に考慮して、六〇〇万円をもって、原告の精神的苦痛を慰謝する相当な金額と判定する。

5  弁護士費用 二〇〇万円

原告が本訴の提起及び追行を訴訟代理人弁護士に委任したことは記録上明らかである。本件が訴訟の維持・追行に困難を伴う事案であることなど諸般の事情を考慮して、被告に負担せしむべき弁護士費用としては二〇〇万円の限度でこれを認める。

六  まとめ

以上によれば、原告の本訴請求は、損害金合計二五五六万九九〇三円及び内金二三五六万九九〇三円(弁護士費用を除いたもの)に対する本訴状送達の日の翌日(催告により遅滞となった日)であることが記録上明らかな昭和五二年一一月一三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、右の範囲内で認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言及びその免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上郁夫 原村憲司 なお、裁判長裁判官山下和明は、転補につき署名、押印できない。裁判官 井上郁夫)

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